優良星界人の暮らし    昭和54年7月5日未明神示受信 p   

                              「宇宙の理」(平成10年10月掲載号より転載)

          (一部を抜粋・転載許諾済み、2011年8月21日改訂
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  ここにご紹介する「優良星界人の暮らし」という詩は、昭和54年に「宇宙の理」の発行人をされていたおられた城戸縁信氏が、「取次ぎの神」より自動筆記にて受診した御神示の一部であります。優良星界とはユートピアと同義です( この神示を受信した時代背景もあるが、優劣という意識はユートピアには持ちこむことができない )。
 「取次ぎの神」というのは宇宙創造神と縁信氏の間にあって神示を、謂わば通訳する形で伝えた神様であります。宇宙創造神から直接通信を受けるには、その波動が余りにも高く、いろいろと支障を生じるということかと思います。
 それと同時に、この取次ぎの神もかなり次元が高いのですが、取次ぎの神と銘々することで、その実態を伏せ、この通信に触れる者の概念を更地(さらち)にするという目的があるように、私には思えるのです。
 つまり、私たちはAの神様だから信じる、Bの神様だから信じないとかといったランク付けを知らず知らずの内にしてしまう傾向があります。ブランド志向です。本物かどうかは本来、ブランドで決めてはいけないのです。例えば天照大神やイエス・キリストからのメッセージとか、ヤハウェーからのメッセージというようにしてしまうと、それだけで先入観が入ってしまうのです。それを避けるためにも、内容のみでこの神示が正しいということを信じる者のみが、この神示の正当性に触れることが出来るという次第です。自らが自らを助くるのです。

 この神示にあるように 「ユートピアにはスポーツ競技も争い事も一切なく、よって法律も警察もなく、お金もないどころか民主主義の選挙もない」 などと言っても神示が受信された1981年にはほとんどの人は信じなかったことでしょう。しかし「アミ 小さな宇宙人」が発行された2000年辺りから次第に理解できる人が増え始めてきたと思います。新しい地球というユートピアの実現のために、時は確実に光の子の心に変化をもたらしています。

 さて、この「優良星界人の暮らし」の詩の前には、前書があります。
 その内容を簡単にまとめますと・・・


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 この三次元下には無数の惑星・衛星が存在していますが、これらの惑星・衛星はその殆どに進化度を異にする人類が生息しているとあります(それが地上とは限らない。むしろ地球を含め星は空洞であることが多く、地下に住んでいるケースが多いようだ。また、巨大なUFOを家として大勢が暮らしている場合もあるだろう=小金井)。
 銀河系に限りますとこれらの星の三分の一が優良星に属すのだそうです。この星ではユートピア、理想郷と私たちが呼ぶような生活が為されています。そして三分の二が不良星に属すのだそうです。地球はもうすぐに優良星界の仲間入りですから、まだマシなほうである訳です。そして優良星界は初めから理想郷にあったものはなく、不良星に住む人々の多大な苦労、犠牲の中で宇宙の法則を発見し、優良星を実現するのです。
 
 取次ぎの神は現在、地球人類が滅亡の危機にあることを憂い、特にこの期において太陽系内外の優良星界人達の協力を得て、その理想郷の生活を公開し、どうすれば地球が斯くのごとき秩序を体現できるかを考えてもらうために示されるものであると仰せられます。


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 程度はあれ、想念は必ず実現する方向に進むものですから、この詩を出来るだけ多くの方に読んでいただき、何度も咀嚼していただきたく思います。現在から見ればとても有り得ないと感じる方も多くいると思いますが、何故だろうと思考が深まり、真摯に純粋に答えを求めれば、きっと答えはやってくると思います。

 想像≠ヘ創造=i想像=創造)でもあります。「ソウゾウ」という同じ発音であることは決して偶然ではありません。すべての「行動」の始まりは「想い」から始まり、「想像」があって初めて「創造」も可能なのです。
 創造するためには先ず、神の存在を100%信じることと、正しくその社会の秩序を理解する必要があります。
・「意思」と「意志」
 ・「インディジョーンズ」の目に見えない橋 参照 

 しかしながらそれと同時に、理想郷という争いのない平和な世界に私たち一人ひとりが移行するためには、私たちは心を洗い、私たちの心が理想郷に近いものにしなければいけません。

 そのハードルは決して低くはありません。下記の詩を読んでいただけばお分かりと思いますが、スポーツで勝ち負けを争うことを当たり前としていて、それに情熱を掛けている普通の人々の意識の心では、基本的には優良星界に移行することはできないでしょう。

 現在の社会はどこも利権だらけです。人がみんな幸せになれる社会を作ることより、自分が楽に益を上げることばかり考えている人であふれています。そんな間違いに氣づかねばなりません。
 ユートピアへ移行する第一歩・・ それは氣づきです。 争いの溢れる不良な星を作っている私たちの常識の間違いに氣づかなければなりません。自分で気づくことです。氣づきとは自分以外で為すことはできません。自分が自分のメシアとなるのです。

 氣づきの第一歩は心を洗うこと ― 「洗心」から始まります。それは、マインドの支配から解放されることです。 
参照 : 「マインドとは何か」
 「洗心」という意味では人の洗心を願うより、先ず自分の心を洗うことに全霊を掛けるべきです。人のことなど心配しないで先ず自分のことが先です。自分の心を洗えば、人と人との垣根は自然となくなっていくのです。お互い一人ひとりの責任において洗心は遂げるべきものです。
 しかし「洗心」を成すためには、人と人とが触れ合う社会生活を営み、自分の心の汚れを出させてもらって、それを確認する必要があります。その中で反省し、感謝し、人を思いやる心を育んでいくのですが、それが為されていないどころか、何か逆方向に向かっているのではと思う今日この頃です。

 一人でも多くの方に、理想郷は実在することを信じていただき、「洗心」とともにその実現を願っていただきたく思います。
船井幸雄さんもこの詩を推奨しています 「今直ぐ知って欲しいこと

親星なる太陽は昇り
山裾に棚引く霞は早や薄らぎ
樹樹に遊ぶ小鳥たち
盛んと今日一日の生命の勇躍を告げん

かくして生きとし生けるものの上に
歓喜と祝福の晨(あさ)来たらん

人々は生かされある感謝の意(こころ)を
同朋の幸の為に喜びて捧げん
彼等には終生の専門なく
また終生の職の定めもなく
これを教えんとなす処もなし
然(さ)れど自らの相応しきを知りて捧げん

作物の収穫時には悉(あら)ゆる人々集まり来たり
豊作の賛歌と共に作業は進む
 
たわわに実りたる果実は
一段と色彩と芳香を放ち
喜びと共に人々を迎えん

(中略)

果実も野菜も
人々に食せらるることに依り
それが果実・野菜であるよりは
より高次の奉仕を遂げん嬉しさのあまりなり

人々は宇宙旅行を好むなり
この旅行の為の大型宇宙船は
各星星に幾千台と備えあり
この大型宇宙船はいと快適に内装し
一度に数万人を乗せ

宇宙の神秘を見学し
同朋の棲む他の遊星を訪れん

何れの星にても来訪者を歓迎し
喜悦を偕(とも)にし
皆旧知の友とならん
凡ての人々は数年毎にこの喜びの機会を得ん

彼等の科学技術はすばらしく 
その大型宇宙船も円盤も
三次元空間を四次元の如く飛び交うなり
その動力源は
操縦士の想念の力と高度な科学力なり
この想念の力は
大神様との一体感より出発なしたる
叡智漲る絶対信の心なり
この科学力は
その天体の高次元波動との調和力なり

是(か)くして大型宇宙船も円盤も
数万キロを一瞬に移動せん 
これ如何に速くとも
これに乗りたる操縦士も乗客も
これこの乗物との高次元波動に於いて
完全に調和する故 
何の抵抗も感ずることなく
いと快適なる旅を楽しまん

また彼等は歌を好むなり
彼らの唄は親愛の表現なり 
大神様を賛美し
愛を唱和し
人々の至福を称美せん
 
或いは高く或いは低く意の儘に謡う
その声は天女の声の如く美しく
楽器も楽譜も必要なく 
唯、自在に謳わん
歌は愉悦の表現なり
歌は親愛の表現なり

彼等は舞踏を好むなり
野に山に街に
人々の寄る処(ところ)舞踏あり 

(中略)

友の歌に合わせ人々自在に舞い踊る
生ある愉(たの)しさあまりに舞い
愛ある悦びのあまりに舞う

彼等の世界は恒久平和とともにあり
全体が完全なる一個の生命体の如く
悉(ことごと)く愛と調和に満たされん
 
その社会機構に一切の矛盾なく
その星の人類全体が
一つの完全なる生命の流れの如きなり

其処(そこ)には国会なく
王政もなく
一切の国家機関は無論なく
国境なく
防衛組織等無論なし

また人を裁く処もなく
人を取りしまる処むなく
医療・保健期間もなく

(中略)

また如何なる競技もなく
その施設無論なく
如何なる競争も無きなり

人々は唯和気藹々(あいあい)と暮らすが故に
世を統治する者の必要性なく
支配者も被支配者も非ざるなり

人々は唯秩序整然たるが故に
許可・認可・諸制度の必要性なく
人間の自由を限る一切のものなし

人々は唯自他共に一体なる
本来相(そう)を知るが故に
境界を設ける必要性なく
自己防御の必要性等無論無きなり
況(ま)して罪を犯す者一人として無きが故に

人名を登録する必要性なく
人名を付ける必要性すら無きなり

彼らは宇宙の法則と共に生くるが故に
病を生ずる者一人として無く
常住健康そのものなるが故に
医療・医薬の必要も無きなり

彼等は宇宙の法則に忠実なるが故に
不自由なる身の者一人としなく
養護施設などの必要性も無きなり

彼等は生活そのものが楽園なるが故に
演劇・芝居・家元制度の類は一つもなく
唯一人として不満を起こす者なきが故に
保養も娯楽も必要なきなり

また一人として他を打ち負かそうとする者なく
勝ち負けを見て楽しまんとする者なし
故に如何なる競技も存在しなきなり

(中略)

大神様は
悉(あら)ゆる法則に忠実なる彼等を
天界より常住祝福為し給い

彼等の守護神はその天候を司り
酷寒も無く酷暑も無く
四季の変化はあれ恒に温暖なる気候を与えられん

彼等の想念常に正しきが故に
豪雨なく
雷なく
雷雨なく
台風なく
竜巻なし
夜のうちに慈雨は大地に潤いを齎し
昼間は快適なる緑(そよ)風が吹き撫で
野山は人々の目に新緑の息いを満喫させ

(中略)

その星に棲む人類の想念波動高き故に
親星より送られる生命波動も高く 
猛獣・毒蛇・毒虫の類は波長あわざりて
悉(ことごと)く棲息不可能なり 
故に弱肉強食の有様何処にも無く
動物達は皆仲良く草を食み大地自然と共に生くるなり

(中略)

此の暮らしの諸々の喜びは
恒に艶福の幸せと倶(とも)にあり
また常に琴瑟(きんしつ)相和せり 
その肉体寿命は
地球年の千年にも及び
その悉く偕老同穴(かいろうどうけつ)なり

優良星界人達は
己自身を知るが故に
必要以上のものを欲せざるなり
常に過不足なく物資は補給され
悉(あら)ゆる物資は
天与の物として大切に使用するが故に
不必要な物の生産は為さざるなり
故に実働時間は僅少なり
是、恒久に恵みある所以(ゆえん)なり

聖なる大地より得たる生産物は
生産地より加工地へ
加工地より消費地へ
流れの如く運搬されん

人々は無欲の心にて暮らすが故に
唯一人も奢侈(しゃし)に流れる者なく 
互いに相手を尊重するが故に
唯一人も驕傲(きょうごう)の心を起こす者なく
互いに相手に親愛を以って尽くすが故に
唯一人も不信の心を起こす者なきなり
人々は唯、相互信頼の基盤の上に暮らすが故に
通貨・貨幣の必要性なく 
盗難の起こる心配なく
貴金属・宝石類偏重の気風なく  
金融機関等、無論存在しなきなり

人々は己耳(おのれのみ)を利する事を慮わざるが故に
一切の営利事業なく
如何なる法人組織もなく
如何なる労働組合も存在しなきなり
 
彼等は一なる大神様に対し奉り
絶対の信を措くが故に
宗教等の必要性は何れにもなきなり
 
恒に感謝の心は暮らしと共に有るが故に
また宜しからぬ願望を懐かざるが故に
神社・仏閣・礼拝堂等何処にも存在しなきなり
 
彼等は利他愛を以って生くるが故に
道徳・戒律など 自他を束縛する何ものもなきなり

優良星界に於ける教育は是すばらしきなり
なれど是その星に依りて様々なり 
其の星、優良星となりて若き場合
学校教育に類似せるものあり

其の星、優良星となりて幾千年も経たれば
既に読書、記憶の必要性殆どなきなり 
其の星、優良星となりて幾万年も経たれば
教育の如き余情すら発見出来ざるなり

(中略)

彼等は常に精神感応に依りて為し
高度なる理性とともに有るが故なり
その理性の源泉は
一なる大叡智者に対する
絶対信頼の超越意識に基くなり 
故に完全に発達の遂げたる楽園には
既に如何なる教育の必要性も無きなり

彼等優良星界人達は

  その暮しが 学びなり

  その暮しが 愉悦なり

  その暮しが 楽園なり

  その暮しが 愛の実現なり

  その暮しが 他への奉仕なり

  その暮しが 大神様への功績なり

  その暮しが 科学する心なり

  その暮しが 生命と共にあり

  その暮しが 法則と共にあり

  その暮しが 宇宙の理なり


彼等は『宇宙の理』とともに在るが故に
己自身に対して強く生き

善悪を超越して正しく生き 
笑貎を以って明るく生き
信頼と互譲の麗しき心なるが故に我(が)なく

競うことの愚かさを知るが故に
宜しからぬ欲心なく

人類皆一体なる真理を悟るが故に
皆仲良く相和して 

森羅万象悉く 
宇宙創造の大神様より発したる
大愛の波動の変化なるを悟るが故に  
無限の感謝と共に暮らすなり


 以下は、私が個人的に感じていることです。

  地球がユートピアと呼ばれる新しい地球となるに伴って一大天譴(てんけん)、いわゆる最後の審判が行われますが、この天譴は天罰という意味合いよりも自分で自分の位置を決めたことの結果としてやってきます。
 そしてそれはユートピアへ至るに避けて通れない道でもあります。
 この地球再生のセレモニーは地球のみでなくて宇宙全体の生命にも大きな影響を及ぼします。
 このセレモニーを通して宇宙は大きな進化の秋(とき)を迎えます。

 プレディアス星人、ベガ星人、ゼータ・レチクル星人、金星人・・ 何十という星から肉体のまま大昔に地球に移り住んで来ました。
 魂だけではなく肉体のままに地球にやって来たということに大きな意味があります。
 それは心の意識・集合意識は遺伝子(肉体)と関係しているので、地球での進化が他の星の意識にも影響を与えるのです。
 百一匹目の猿の意識伝播の現象が地球を超え、宇宙の星々の中で起こるのです。
 地球という星が他の星と異なり多くの人種が棲むのはそのためです。
 そこに地球という星の役割が存在しています。
 多くの魂が肉体を求めて地球に生まれているのです。
 地球の人口がこんなに膨れたのは偶々ではありません。

 その移行に至るにあたり、私たちは心を洗い、心と魂を愛の星に相応しいものへと変革せねばなりません。
 間もなく訪れる新しい地球に移行できる人は「優良星界人の暮らし」にあるような社会秩序を持つ新しい地球の波動に相応しい人だけなのです。
 ドジョウは澄んだ水の中では生きることはできません。
 人類も濁った意識に相応しい人と、透き通った意識環境の中で意識の共有に相応しい人とがいます。

 この詩をお読みいただければ分かりますが、真のユートピアである新しい地球は今の地球の秩序とは全く異なります。
 ですから移り住むことのできる人もほんの一握りに限られます。

 しかしだからと言って、落胆することはないのです。
 私たちの幸せな家庭では一部それを既に実現しているではありませんか。
 幸せな家庭では役割が正しく機能しています。
 そこには明文化された法律もなければ、それぞれの働きに代償としてお金を支払うこともありません。あったとしてもそれは、家庭内ではなく家庭の外で使用するために割り当てられたものです。

 自分が愛する人のためなら自分を犠牲にすることは厭いません。

 イエスは言いました。
 「自分を愛するように他人を愛しなさい」
 ここに愛の原点があります。
 自分とその他を別けてはいけないのです。
 「私」が「私たち」として沢山いるだけです。
 自分にとっての他人は、自分の反映、映し鏡です。
 嫌なことがあってもそれは自分の心のエネルギーの反映です。
 自分が引きつけたエネルギーに過ぎず、嫌な人はそれを教えてくれたに過ぎません。
 だから感謝、だから有難うなのです。
 
 私たちは善悪を決めることは出来ます。
 それは私たちが決めることですから。
 白が黒だと決めれば白は黒になります。
 人類はずっと、自分が好きなものを善として、嫌いなものは悪としてきました。
 善悪は自由自在、都合の良いように決められます。

 しかし正しいことと間違っていることは人間には分かりません。
 それは愛が育まれたか否かの結果として、後々分かることです。

 私たちの中に愛というエネルギーが満ちれば、自分と他人を別けることがなくなります。
 戦争も、スポーツも自然消滅します。
 ライバルもいなくなるし、そんな意識すら存在しません。

 気づくと気付かないに関わらず、私たちの魂は地球全体がひとつに成れるよう学び、実現に向けて努力しているのです。

 そんな本当の自分を思いだして、愛の世界を作って行きましょう。



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次に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の有名な詩を含む宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の序文を読んでいて浮かんできたビジョンを詩にしましたのでご紹介します。


幸せの原理


幸せは皆がひとつになることで初めて成就する
私という全体にとっては
たとえ一カ所の傷であっても私の心を痛めるから
すべての神経が私に繋がっているからだ

「私たち」とは「私」が集ったにすぎず
私たちの分霊が私なのだ
だから私たちはそもそも一体なのだ
私というこの存在とあなたというこの存在の別離は
ひとつの幻想にしか過ぎないのだ
何故ならば、私たちは既に一体であるのだから
分かれて存在するものは個性でもなければ我でもない
唯一存在している固有とは、役割でしかない
私たちが一体となって
意識の統一された一切の無駄のない生命活動を
成就する役割でしかない

耳をすませば聞こえてくる
待ちに待ったその日の足音が
与えられるものに偶然はない
与えられるものに一切の無駄もない
与えられるものは神の息吹である
与えられる艱難(かんなん)も神の息吹の変り身なのだ
神の息吹を大きく吸い込もう
恐れるものは何もない
その足音はたとえ艱難という神の息吹でも
あなたには受け取る意味がある
受け取る価値がある
決して逃げてはいけない
神からの贈り物から
未来からの贈り物から
決して逃げてはいけない

日の本の子よ、光の子よ
あなたは観ることができる
あなたの道は真っ直ぐに続き
広がっているではないか
 


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