こだわりからの離陸(80) 1999年「宇宙の理」10月号
(スターウォーズ・エピソード1観賞記 @)

 8月の夏休みに、子供を連れて家族でスターウォーズ・エピソード1を見て来ました。普段は映画をほとんど見ない私も、久しぶりに大画面のSFシーンを楽しんで来ました。
 この映画には21世紀に通じるエネルギーが多く組み込まれていて、とても考えることろが多かったので、今回から2回に亘り、特に感銘を受けたところを「私の映画観賞記」として書いてみます。

 以下、映画の内容の一部を【 】内に、それに関しての私の所感を<>内に記します。


【@銀河共和国は惑星間の貿易関税率を巡る争いが元で混乱状態にあった。
強欲な通商連合は小惑星ナブーを武力で侵略していた。この事態を収拾すべく開かれた共和国議会は各国のエゴで無意味な議論を続けるだけだった。
業を煮やした共和国大法官は密そかに銀河系の正義の守護者「ジェダイ騎士」の協力を求め、事態の収拾に当たった。
そして、大法官の特使として通商連合の船に二人の師弟ジェダイ(師=クワイ・ガイシン、弟子=オビ・ワン)が乗り込むところから映画は始まる。
オビ・ワンは乗り込む早々に漠然とした不安を感じることを師のクワイ・ガイシンに告げるが、師は、
「不安にとらわれるな」
「今に集中しろ」と言う。
オビ・ワンは、
「未来に心を向けろ」と言ったジェダイ評議会のマスター・ヨーダの言葉を引き合いに出すが、クワイは、
「現在を疎かにしてはいけない」 と答える。】



<未来のことを考えるのは確かに大切なことです。しかし人間の本来の役割は、神と繋がって神の心のままに生きることです。私たちの心には恐怖心に代表される様々な潜在意識やエゴがこびり付いています。この御法度の心を私たちは洗心によって超越出来る心を造り上げ、神と繋がることを一つの目標としています。
 そのためには恐怖を体験せねばなりません。恐怖を取り除くためには、先ず自分の心の中に恐怖があることを反映を通じて知ることが洗心の始まりです。
 そして次のような反映からの学び方もあります。

 以前、私が霊的なことに興味を持つことを知った人から、自分の奥さんが日々悪夢を見て死の恐怖を味わっていることの理由を私に尋ねてきました。・・・・
 たとえ3次元の経験ではなくても、夢も現実の経験であることには変わりないのです。3次元で経験することを代わって夢の中で経験させて頂いている場合があります。夢は洗心の絶好の材料です。
 例えば、実際には我慢していて人と問題を起こさなくても、夢の中では人を罵っている場合があります。
 3次元で未来を心配している内は心配心を実現する役割を持つ人を引き付けます。洗心が完了するまでは(この場合、心配心がある内は)残念ながら、未来を心配して色々と策を立てなければならないのは否定できないものの、心配して行動する内は真の神ではない波動を引き付ける可能性もそれなりに高いでしょう。
 成長を早める為にも、勇気を持って神を信じ、神の心と繋がる「今を生きる生き方」に変えていきたいものです。
 未来を考えてはいけないと言うのではなくて、考える場合でも、今を観じる中で(神と繋がる中で)恐怖心なく未来を直観したいものです。>

【Aそして更にクワイは、
「フォースに注意を払うのだ」 と続けます。】

<スター・ウォーズでは盛んに「フォース」という台詞(セリフ)が使われますが、これは何を意味するのでしょうか?
 「フォースの加護」「フォースの流れ」という台詞も使われています。
 これについて一貫して感じることは、その人自身の肉体に備わる〃力〃ではなく、自分の中を通して湧き上がる不思議なエネルギーであったり、自分をエゴに誘うことなく駆り立ててくれるエネルギーであったり、常に自分を護ってくれるような信頼感あるエネルギーをいうと感じます。

 フォースとは、神の御心のままに生きることを生業とした人間への、神からのエネルギーと思われます。
 肉体の波動や心の波長というものが正しくあり、多くの天の存在に護られ支援を受けている存在ほど、そして役割に忠実であらんとする存在ほど、そのフォースのエネルギーは強くあるものと思われます。>

【B通商連合との戦いに向かう途中、宇宙船を入手したジェダイ達は、燃料補給と船の修理のために立ち寄ったタイトゥーンという星で、奴隷ながら純粋な心の持ち主のアナキン・スカイウォーカー(後に悪のダースベーダーと成る9才の少年)に巡り会った。アナキン少年は、一文無しのジェダイ達に燃料の補給と修理部品を購入に必要な資金を与えるためポッドレースに出ると言った。しかし母親シミ・スカイウォーカーは危険なレースにアナキンを出したくないと言う。アナキンは母の言葉を受けて、
「人々が助け合い生きることがこの世で一番大切なことだ」
と常に言っている母の日頃の言葉との違いをつく。この言葉が母親を動かす。】

<自分の子が危険な目に遭うのを避けようとする言動を取る場合、それが愛ではなく親の子への執着から出ている場合があります。アナキン少年は母親の子への執着が、アナキンが我を省みずに取ろうとした行動にマッタを掛けたことを察知したかのようです。母親は子供の鋭い指摘から自分の心を知ることとなり、レースへの参加を許しました。
 アナキンがレースに参加し勝利すれば、宇宙船を修理するための資金を得られるクワイ・ガンジンも、レースへの参加を母親に強く願わずに、母親の自由意志に委ね、判断を待ったのです。>

【Cレースに向かうとき、ジェダイのクワイ・ガンジンが、ポッド(レーシングカー)内に座ってスタートを待つアナキンにこうアドバイスする。
「(レース中は)考えるのではなくて感じろ」 と。 そして、
「フォースと共にあらんことを」 と続けた。・・・・】

<「感じること」は21世紀の地球人類の生き方であり、正に神と繋がり神と共にあるということです。但し、これを私たちに当てはめた場合、21世紀の生き方がそうなるとはいっても、私たちが今すぐに直観のままに生きられるとは限りません。私たち地球人はそれを目標にして今、洗心の途上にいるのです。

 内から湧き上がるエネルギーの波動が正しいものか否かを見抜くことが出来ない人にとっては、焦って感じようとしても悪の波動に進入されて却って危険かも知れません。
 しかしながら、この内面の想いを感じることを恐れていては成長もないのです。悪と繋がってしまうという誰もが当たり前のように経験して来たことによって、そのときの心の状態と悪の波動を雰囲気として認識するという能力は身に付くものと思われます。どういう心の状態の時にどういうエネルギーと繋がる・・・・という感覚の取得です。

 ある人が側に来ると、その場がその人のエネルギーの影響を受けるように、人間にはそれぞれのエネルギーがあります。
 同様に、自分の魂にもガイドにも天使にも、そこから直観としてのエネルギーが送られるときには、それなりの雰囲気を伴ってやって来ます(少なくとも私にはそう感じます)。
 ですから魂としての自分は、この波動の判別能力を支援するため、たとえ現在意識としての自分が悪と繋がると分かっても、それを必要な経験として許す場合もあると考えます。問題となるのは、それを学習せずに、常に悪波と共に進むことを繰り返す場合です。

 経験は大切な成長への肥やしです。この学習を全く回避して洗心を進めることなどあり得ないでしょう。
 人は不幸とか試練とかの経験なしに意識の進化を遂げることはできないのです。
 「フォースと共にあらんことを」という謙虚な祈りの想いは、私たちの判断に対して多大な支援を差し伸べてくれることでしょう。


こだわりからの離陸(81) 1999年「宇宙の理」11月号
(スターウォーズ・エピソード1観賞記 A)

【Dアナキン少年はレースに勝った。それまでのアナキンの言動から彼をただ者ではないと感じたクワイは、彼をジェダイにするべく修行の旅に連れ出そうとする。
 母と子の別れのとき、
「お母さんを置いては行けない」
「またお母さんに逢えるかなあ」
と心配するアナキンに、息子アナキンが他の者とは異なる何かを持つと感じる母は寂しさを振り切り、別れを受け入れるべくアナキンにこう進言する。
「またお母さんと逢えるか自分の心に聞いてごらん」
自分の心に聞いたアナキンは、
「また逢えると(自分の心が)言っているよ」
と答え、アナキンはそう答える自分の内面を信じた。
 また、母親はアナキンに、
「自分のことは自分で決めなさい」
とも進言している。】


<親と子の関係は何度も述べてきたことですが、(一概には言えないものの)子供を親元から離そうとしない親の思いは、愛というより執着の場合が多いでしょう。
 先日、テレビ番組で、ある女優さんが離婚についてインタビューを受け、娘さんとの会話を語っていました。娘さんは、母親が離婚について自分のことで迷っていると知り、母親にこう言ったそうです。
「私は(父母の)どっちにも付かないからね」
「お母さんが離婚をしないことを私の所為にしないでね」
「それはハッキリいって迷惑だからね」
『生きる姿勢』という意味では、私は娘さんの言葉に頼もしさを感じました。

※但し今生で、相手を許す(ありのままを受け容れる)学びをしている人とか、相手との不調和は自分の心の中のどのエネルギーが元で生み出されているのかを学んでいるような人の場合には、離婚は学びのために仕組まれたエネルギーの流れを否定して回避することとなり、正しい選択とならないだろう。
 だから学びを終えるためにはもう一度、同じような経験をする可能性が高い。>


【Eレース後にすべてを理解した少年の母親はクワイに、
「連れて行くんですね、この子をジェダイにするために」と尋ね、クワイはこう答える。
「そうです。この出会いは偶然じゃない。すべては運命と感じる」】


<既にエピソード4〜6を見てアナキンの未来を知っている人であれば、この時のクワイの判断が未来の混乱の始まりであり、クワイは間違った判断をしたと考えるかも知れません。しかし神や魂はそういった苦難の経験を許す場合があるのです。
 実際、恐怖を拭えずダースベーダ(悪の皇帝の僕)と化して行くアナキンは、エピソード6において息子への愛に芽生え、恐怖心を超えて―皇帝(悪)に打ち勝つ心の学びを終えてから―肉体を離れたのです。
 悪も戦いも、自分の心の中のみに実在し、現象界での戦いはそれが写し出された幻影に過ぎない。>


【Fクワイはアナキン少年がジェダイになる訓練を受けることを評議会に提唱し許可を得た。しかし、評議会のマスター・ヨーダには一抹の不安があった。
 少年を面接したヨーダは、アナキンを受け入れることの危険性を感じていた。少年の心が『母親と本当に再会できるのか』という不安と恐怖心で一杯であることを見抜いたからだ。アナキンがDで受け取った真我の想いは恐怖心に覆われ始めた。
 ヨーダはアナキン少年に言う。
「恐怖は怒りへ、怒りは憎しみへ、憎しみは苦痛へ繋がる。お前の心にはそれがある」
 それでもヨーダの魂はアナキンを受け入れることの危険(混乱の予感)を受け入れた。】


<★ここで恐怖心(自己への執着心)とい うことで余談を一つ・・・・、

 前回、夢の話しをしましたが、夢を見るとき景色をどこから見ているかを思い出してみて下さい。例えば自分が空を飛ぶ夢を見る時、
 夢の中の自分の目で景色を見ますか?
 それとも飛んでいる自分を別の所から見ますか?
 私はこの場合、私のスグ上から中々うまく飛べない自分を支えるように見ることが多いです。
 でも私が夢でピアノを弾いたり、歌を歌ったりしているときは、自分の後方から自分の姿をを眺めたり、舞台の端から眺めたり、客席から自分たちを眺めていることが多いです。
 これらの場合の自分の見方というものは、人の意識の進化レベルや、その時の夢の場面の状況によって多少異なるようですが、基本的には、
「夢で自分をどういう状態で見れるか」は、自分の意識がどれだけ客観性ある高いレベルに達しているかを知る上で参考になるでしょう。
 実生活に於いても、艱難が人の身に降り懸かっていても、三次元で右往左往して役割を演じている自分とは異なる自分が、まるで物語を見るようにその状況を観守っている、という「め」を観じることがあります。★

 今後、ジョージ・ルーカスはエピソード2〜3を通じ、「なぜにアナキンが神との繋がりを断ち、暗黒のエネルギーと繋がり、悪に転じて行ったのか」をアナキンの心を投影させて描くこととなるでしょう。それは自己を確立できなかった ― 自分を信じられず、恐れを克服できなかった ― アナキンの心の物語なのです。
 恐怖心は真の神との繋がりを断ちます。そしてそれは同時に、暗黒との繋がりを意味するのです。これは普遍かつ不変の法則です。アナキンの魂にも、アナキンを支援している多くの神霊達にも、アナキンの自由意志を強制操作することは許されないのです。

 他にもこの映画では、後にアナキンと結婚するアミダラ女王が自国、小惑星ナブーの民を思う心が、通商連合の攻撃を受ける中でよく画かれていました。
 恐怖を跳ね退ける彼女の信念は愛を元に自生したこともよく伝わってきました。愛を基盤とした信念は間違った方向(信念と執着は紙一重)を向かないこと、愛が深いほどに物事を冷静に決断できるエネルギーが流れることもよく演じられていました。>

■私はしばし、エンターテイメント界の技術的進歩に貢献したとして評価されているが、私自身はまず第一にストーリー・テラーなのである。私は私の物語を語るのを可能とするために必要な技術を開発しなければならなかっただけなのだ。(略)・・・・
 幸い、技術の進歩は制作者としての私に多くのツールをもたらし、広大なキャンバスに(私の物語を)描くことを可能とした。
 これらの進歩は確かに重要だが、それは物語を語ることに付随しているに過ぎない。大切なことは人の振る舞いの内面にある見識を通じながら、我々がどう生きるか ― 特に重要なことは人間の知性と感情の理想的なあり方について、物語を伝え語って行くことなのだ。
 これこそが、私が私の人生でのビジョンを銀幕に投影するように私を鼓舞し、掻き立てさせる源(エネルギー源)なのだ。(ジョージ・ルーカス、筆者訳)■


★注釈
 この「スターウォーズ・エピソード1」は、先に公開された3部作(エピソード4〜6)より時代を過去に遡る。今後、制作される「エピソード2・3」は「エピソード1」に続いて制作され、「エピソード1」と「エピソード4〜6」との間を埋めるものとなる。
 このような制作過程をとることによって観客は、「エピソード1」では無邪気で愛らしかったアナキン少年が、なぜに悪のフォースへと繋がっていくのかを冷静に見れることとなる。★


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