昼下がりのコーヒーブレイク 「宇宙の理」 2008年月2号
常識を疑う(法科編)
私の長男が昨年、大学を受験しました。その前の年に進路について話していたら弁護士も選択肢に入っているようなことを彼が言うので、私は「弁護士になるのは難しいだろう」と言いました。
すると息子は「司法制度が変わって今はそれほど難しくないよ」と言うのです。
その後「改革」について調べていて「司法制度改革」の結果、弁護士の量産体制が整ってきたことが判ったのですが、同時にその意図も分かってきました。
去年の11月18日の日本経済新聞の朝刊に『弁護士の就職厳しく・・ 新人「ノキ弁」増加中』という記事が載りました。「(前略)ノキ弁になる新人の弁護士が増えている。司法試験の合格者が段階的に増え、就職先が減ったための苦肉の策だ。(後略)」・・ 「ノキ弁」とは法律事務所の軒先を間借りだけさせるので「軒弁(ノキ弁)」と言います。彼らは給料はもらえないのです。
こんな現象が起き始めたのは、弁護士の量産体制が進められているからです。
2005年の司法試験合格者は1,453人でした。今後は司法制度改革で司法試験合格者は2010年に3,000人に拡大される計画です。需要がないのに法曹(裁判官・検察官・弁護士)の供給だけがどんどんと増える。
これは一体どういうことでしょうか? 意図は何なのでしょうか?
子や孫に対する思い
今日は「司法制度改革」について書きますが、宮沢内閣以来これまで日本が行ってきたほぼすべての改革に於いて、実施されたものは(そしてこれからされる改革も)実態は売国であり、日本を不幸にさせる方向に導いていきます。
しかも日本の改革派で改革を実行しようとしている人たちは売国確信犯なのだと思います。特に小泉元首相、竹中元金融担当大臣、猪瀬行革断行評議会委員、宮内(オ)金融会社会長などは間違いのないところです。この4人は売国カルテットです(まだまだ売国奴はウジャウジャいる)。
しかし私は最近思うのですが、彼らが行ってきている『改革』は一時的に日本をおかしくするものではなく、日本の根幹を崩壊させるものばかりです。彼らが推進してきた改革で、格差が広がり失業率が高まりフリーターが増え、自殺者が急増しました。この傾向が近い将来にはもっと身近で如実な問題として現実化するでしょう。
今は国民が騙される中、この計画の布石が整っている段階ですので、まだ万人への影響とまではなっていませんが、このまま進んでしまうと国民が気づいたときにはもう取り返しのつかないことになっています。郵政や道路公団のように既に取り返しのつかないものもあります(古くは食料自給率の低下政策は取り返しのつかないことの典型)。でもまだこれから食い止めることが出来るものもあります。特に診察費の自己負担をどんどん上げて国民皆保険を無きものにしようとしていることはどうしても阻止しなければなりません(このことは次回あたりから書こうと思っています)。
このアメリカに利する改革の結果、仮に改革派の人たちが大きな見返り報酬を受けて自分の老後は安泰であっても、これらの「改革」は、改革派の子供や孫がこれから生きていくこの母国を滅茶目茶にしてしまう愚行なのです。売国確信犯だってこのことに気づいているはずなのに、彼らは自分の子供や孫たちすら愛していないのでしょうか。
日本人の底力
アメリカに端を発した政策によって貧富の差は益々広がり、学力低下を狙った「ゆとり教育」によって教育は退行し、官の民営化で国民の富が奪われ、医療と食を通じて国民の健康が侵されようとしています。犯罪は増え、さまざまな不安が広がっていくことでしょう。何ともやるせない想いが胸を過ぎる日々が続きます。
しかしその一方で、「宇宙の法則」から観れば、これも日本人に託されたひとつの試練なのです。であればいつかきっと、日本民族はこの侵略にも似た政治政策に気づき、絶体絶命のところで蘇るものと信じています。光明も少しですが観えています。まだまだ日本人の底力は消えていないと信じています。
そして売国政治がまかり通っていることに気づく政治家も国民も増えてきています。だからまだ間一髪間に合う可能性も残されおり、明るい未来を創るためにも、真実を述べていかねばなりません。
訴訟社会の構築が進んでいる
今月のテーマの司法の話です。「改革」のひとつに「司法制度改革」があります。そしていま私の目の前の日弁連のホームページには次のような文言があります。
「法曹人口を大幅に増員し、専門性のある優れた法曹を養成するためには、司法試験のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を連携させた、「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備する必要があると考えられるようになりました。そこで、2004年より、法科大学院修了を前提とした新しい法曹養成制度がスタートしたのです」
法曹の質を上げると書いてありますが、これは詭弁です。数を増やすことが目的ですので質は逆に下がるでしょう。しかしなぜ法曹人口を増やす必要があるのでしょうか?
次に首相官邸のホームページを見てみましたら「司法制度改革推進本部」というページがあり、改革を進めることを謳いこう記されていました。
「司法制度改革は、明確なルールと自己責任原則に貫かれた事後チェック・救済型社会への転換に不可欠な、重要かつ緊急の課題であり、利用者である国民の視点から、司法の基本的制度を抜本的に見直すという大改革です。(後略・・・アンダーラインは筆者)」
これも真っ赤なウソです。アンダーラインの部分に関しまして、本当のことを書きます。
「事後チェック・救済型社会」とは事件が起こった後で方策を考え事後調整していこうという「事後調整型」のことです。よく耳にする「市場原理に任せろ」とかいうトリックもこれに則っていて、基本的には弱肉強食社会を構築しようというのが本音です。この反対が、事件が起きる事前に調整をしておこうという「事前調整型」です。
この「事前調整型」とは根回しであらかじめ方向性を決めておいて後で利害の争いごとが起きないようにしておくことであり、また規制や行政指導であらかじめ違法行為が発生しないようにしておくことです。これは日本人の和と平等の精神が生んだ弱者を作らないための調整法です。談合はこれに秘密と甘えというエゴが入り良くない方向に進んだものです。
一方、「事後調整型」とは市場原理そのもので、事前の根回しや規制、調整は一切しないで自由競争にまかせ、物事が進んで問題が起きたら訴訟して司法の判断にゆだねようというものです。今の地球人には与えてはいけない量・範囲の大きな自由(規制緩和)をあえて与えて、問題を起こそうということです。規制緩和の意図の重要なファクターです。これはアメリカ型の社会です。「事後チェック・救済型社会」などと「救済」の文字を入れ、さも国民を救済する素振りをしていますが、騙されてはいけません。事前に救済しないでたくさんトラブルを起こし、訴訟を起こさせてビジネスとして儲けようという魂胆です。
これはとても恐ろしいことです。「事後」に待っているのは弱肉強食の世界だからです。
何故ならば、大半の弁護士は「真理・真実」など追いかけません。追うものは先ず「依頼者の勝利」です。真理・真実ではありません(第八章のライアーライアー参照)。
ですからそこに待っている訴訟社会とはお金をたくさん持っていて、有能な弁護士をたくさん雇える強者が勝利する、弱肉強食の社会なのです。
「司法制度改革推進本部」の司法制度改革審議会はホームページで日本のよき慣習である根回しを否定し、アメリカ型訴訟社会にしようと呼びかけているのです。だから法曹人口を増やす必要があるのです。これが本当の「司法制度改革」の解釈です。
そういえば司法制度改革審議会の言う「自己責任」という言葉は数年前からよく聞くようになりました。昔、高遠さんはじめ日本人3人がイラクで人質となったときも自己責任という言葉が飛び交いました。これはひとつに自衛隊のイラクへの派遣の邪魔をさせないように自衛隊関係者以外をイラクに入れさせないようにしようという動機から自己責任が叫ばれたと私は考えますが、もうひとつはアメリカ型の自由社会に日本を導くため、つまり事後調整型に日本を導くためにサブリミナル効果を図っているとも言えるでしょう。
日本には多数の弁護士は要らない
日本の弁護士の数は2万3千人(平成19年1月)でアメリカの弁護士は現在100万人いるといわれています。アメリカでは1弁護士事務所で1,000人を超えるところも珍しくありません。札幌市の弁護士の数が全部で300人強ですからこれはもう想像を絶することです。ちょっとした大企業です。計算してみますと、人口比ですと日本には約5,600人に1人の弁護士がいることになりますが、アメリカは約300人に1人となります。
日本ではそれでも仕事がない弁護士がいるわけです。当たり前です。全国の地方裁判所の民事通常訴訟は2000年に184,000件だったものが2005年には154,000件と減っているのです。それなのに2005年には1,500人に満たなかった司法試験合格者数を2010年頃には3,000人とする予定です。法曹人口は2018年頃には5万人にまで増やし、2030年には10万人を目標としています。
真の狙い
こういう事の起こりはアメリカから日本への要求書である「年次改革要望書」が発端です。アメリカが日本の法曹人口をもっと増やせ(訴訟社会にしろ)と要求していたことです(「年次改革要望書」はアメリカ大使館のホームページで誰でも日本語で見られる)。また日本にある外国の法律事務所は日本人弁護士を雇えなかったのですが、日本でも外国の法律事務所が日本人の弁護士を雇えるように法の整備を進めろと要望をしてきたのです。
郵政民営化も道路公団民営化も、教育改革も金融のビッグバンも全部、アメリカからの「年次改革要望書」に記されていたことです。日本の意思ではないのです(憲法改正もアメリカの意思が含まれる。アメリカから独立するまで、日本国憲法は絶対に変えてはいけない)。
今後ここで私が触れようとしている医療改革では国民皆保険を無くして日本をマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」にあったような民間保険で運用される地獄社会に変えようと日米双方は企んでいます。真の目的は外資系の保険会社のビジネスチャンスを広げることです。これも「官から民へ」ということです。治療費負担を3割から5割にもっていき、「民で出来ることは民で行おう」という改革論者のペテンです。しかも「民」とは外資の民間保険会社です。病気になったら、それも「自己責任」だから公に頼らず自分で稼いで民の保険に入れということです。まさに今の平均的アメリカ人の医療地獄そのままです(保険会社にとっては天国で、金持ちにも影響は無い)。こういうことが全部実際に着々と進められています。
そして法科については、
●法曹人口を増やすために2004年には法科大学院を全国の国公立私立大学等に設置し学びの場を増やしました。
●また外国の法律事務所は日本人弁護士を雇えないという法律が2005年には“撤廃”されました。
●更に外資法律事務所が日本で活動しやすくするために日本の法律の英訳化を日本政府に要請しており、これも日本側は検討会議を立ち上げ、受け入れ方向で進められています。
結局、全部アメリカの要求をそのまま受け入れているのです。アメリカは何を狙っているのかというと、何度も繰り返しますが、日本を訴訟社会にしてアメリカの法律事務所が日本の弁護士を雇って儲けようとたくらんでいるのです。日本企業も軒並み訴訟されるのです。訴訟社会であるアメリカは今、共和党政府も企業もこういった弁護士の動きにはヘキヘキしていて訴訟を抑制する動きが出ています。それでターゲットを日本に置き換えようという魂胆なのです。
昔の出来事ですが、1992年アメリカメキシコ州のマクドナルドのドライブスルーでコーヒーを購入した老婦人がいました。彼女は車の中で購入したコーヒーを開けようとしてこぼし、太ももに火傷を負いました。老婦人はマクドナルド相手にコーヒーが熱すぎたと訴訟を起こし、64万jで勝訴しましたが、担当した弁護士は幾ら稼いだのでしょうか。日本がこんな社会になっても良いのですか?
陪審員制度の意味するもの
日本にはこれ以上弁護士は要らない、それなのにどんどんと弁護士を増やす。それでも足りないので来年から陪審員制度導入して時間の掛かる裁判を早く切り上げ、多くの裁判を処理することが狙いとしてあるように思えてきました。だいたい一般市民を何年もひとつの裁判で縛り付けるというのは困ります。転勤とか、職を求めて地方への転職も出来ません。裁判が長引き陪審員を束縛し続けると批判の的になります。必然的に判決は急がれるでしょう。
私が考えるに、更なる目的として、裁判になじみの薄い日本人の多くを裁判に関わらせ、裁判を身近なものにして訴訟社会を作ろうという狙いがあるように思えます。
それでも日本にある「和」の精神
私は昨年末、私の勤める会社で多くの企業と契約更改・新規契約のために契約書の立案をしました。契約書には必ずといってよいほど、管轄の裁判所所在地が入ります。これを入れないと、例えば北海道と九州の企業間で問題が起き、北海道の企業が九州の会社を訴えるときは北海道の裁判所に届けを出しますから、九州の企業は裁判を起こされてしまうと否応なしに裁判の度に弁護士を伴って北海道に渡らねばなりません。早い者勝ちなのです。
ですから揉め事のときはどこで訴訟を起こすということを契約書で予め定めておくのです。それで出来るだけ裁判はせずに済まそうとして管轄裁判所所在地を「被告人の本店の所在地」という選択をすることがあります。これは訴えたければお互いに敵地まで乗り込まねばならないということです。こういう知恵も、日本人は裁判沙汰を極力嫌っているので湧くのです。
「ゆとり教育」にしても、実はアメリカの要望によるところがあって、日本人を堕落させ愚か者にしようという狙いがあります。判断力も低下させて日本の社会を改革に向けて自由にコントロールしようとしています。
いろいろと危惧がありますが、それでも私は、日本人は国をアメリカの思惑通りの訴訟社会にするほど「愚か者」ではないと思います。日本民族は許しの心が強いですから、アメリカの思い通りの訴訟社会は実現しないように思います。
本当に弁護を必要としている人
ですから今後は政府の方針で弁護士の供給過剰がますます拍車をかけるでしょうが、これから弁護士になる人には、アメリカと日本の売国人の意図とは違った方向に向けた進路をとって欲しいと思います。実は日本の過疎地では医師と同じで弁護士不足なのです。法テラス(独立行政法人「日本司法支援センター」)などのように、法律による紛争の解決に必要な弁護士や情報・サービスを斡旋するところもありますが、過疎地には実際に弁護士が居るわけではないので、過疎地の人は心細く弁護士の赴任を心待ちしています。だから今後、弁護士を目指す人は弁護士のひとりもいない過疎地などへ行き、弱者のために一肌脱ごうというような志の強い人であって欲しいと思います。そうであればノキ弁になることはないのです。仕事は幾らでもあります。都市にはもう弁護士は必要ありません。
ちょっとしたアイディアで仕事は生じるものです。動機付けさえ間違えなければ神は決して私たちを見捨てるようなことはありません。弱者救済を願わないことの多い現代に於いて、そんなニッチ(隙間)の世界はまだまだあるのです。
― おわり ―