昼下がりのコーヒーブレイク 雑誌「宇宙の理」2007年4月掲載
時間と空間( ゾウの時間 ネズミの時間)
誰もができるだけ太く、できるだけ長く充実した人生を送りたいと思っていることでしょうが、もしも「細く長い人生」と「短く太い人生」の二者択一しかできなかったら、あなたはどちらの人生を送りたいですか?
実際のところは、怪我や病気で死んでしまうのを除くと、二者択一しかできないみたいなのです。
「長生きをするということ」それ自体は人生の目的には入っていないので、余り長寿に執着すると人生を誤ることになってしまうかもしれません。それよりも、自分の使命をちゃんと果たしながら、いろんなことが学べて愛が深まるような充実した人生を送りたいものです。それを実現しさえすれば、寿命が1割、2割、他の人より短くたってどうっていうことはありません。
スポーツをすることでそれが叶うなら、たとえスポーツをし過ぎると寿命が短くなるという事実があるにしても、スポーツを通じたご縁のほうを優先すれば良いと思います。
とは言え「朝食をしっかりと食べるほうが健康によい」と信じて無理に朝食を食する人もいるように、*「運動は健康によい」 と信じて、無理して辛い運動をしていたのでは目も当てられません。ここで警告しているのは、健康の為に良いと信じて激しいスポーツを促進することです。
*注:この文書は「常識を疑う(運動は体に悪い)」の連載の中で紹介したもの。
生き物の一生の心拍数は決まっている
心拍数の少ない動物ほど長生きしているということを知っていますか? そして体の大きな動物ほど鼓動は穏やかで長生きなのです。
最近、東京工業大学理学部の本川達雄教授が書いた「ゾウの時間 ネズミの時間(中公新書)」という書籍を読みました(これも面白い) 。もう10年以上前に書かれた本ですが、とても興味深いことが書いてありまして、新鮮に感じました。今回は前回の予告を変更して、運動・スポーツに直接的に焦点を当てず ― とは言っても大いに関係はあります ― この本の内容を参考に「呼吸と寿命」について考え、時空間の不思議について綴って見ます。
本川教授によりますと、どの哺乳類の心臓でも、一生の間に15億の回鼓動を打つという計算になるのだそうです。種を問わず、だいたいこれは決まっているというのです。
この本では心拍数の少ない生き物ほど生涯の心拍数が遅く15億回のリミットに達するので長生きするというのです。
これを激しいスポーツと呼吸に関連付けると、心拍数が上がれば当然エネルギーを消費しますので、呼吸で酸素を吸い込んで血液に送り込もうとして、当然呼吸も速くなります。走って呼吸が上がれば脈拍も比例して上がるので、同義と言えるのです。
心臓が1回ドキンと脈打つ時間のことを心周期と呼ぶのだそうですが、これが人の場合は約1秒。ところが体が大きくなるほどに心拍数はゆっくりになります。馬は2秒。象は3秒です。体の小さなハツカネズミの心周期はなんと0.1秒なのだそうです。ハツカネズミは1分間では600回から700回も脈打つのです。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒だそうです。
呼吸と関連付けすると、これらの動物でも明らかですが、息をたくさん吸って酸素を取り入れて生きている生物ほど短命ということができます。
前述した「哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つ」という法則を人間に当てはめると26歳の寿命です。現実を考えると、人間だけがこの法則から外れていることとなります。しかし縄文時代の寿命は30年程度で、この法則に概ね準じています。つまり人間の場合は医学の進歩が進み平均寿命が長くなったということが大きいのかも知れません。
あるいは、地球上で唯一自由意志を使って生きている人間のみ、例外ということが言えるのかも知れません。
サイズとエネルギーの消費量
生き物の大きさ、サイズとエネルギーの消費量の関係を考えると、小さい生き物ほど早く動けるのでエネルギーの消費量は多くなります。これはハエや蚊などが飛ぶスピードをジェット機のサイズにしてみてそのジェット機のサイズとスピードを比べてみれば明らかです。ハエや蚊の飛ぶ姿を見ていていつも思うのですが、体の大きさから言ったらあのスピードはすごいことです。蚊をジェット機と考えたらとてつもない速度で飛んでいることになります。
エネルギーの消費が大きいということは、当然、それだけ補給をしなければなりません。ハツカネズミは4日で自分の体重と同じ量の食事をしますが、牛は一ヶ月以上掛けているのです。人間でも「痩せの大食い」と言いますが、小さい生き物ほどすばしっこく、エネルギーをそれだけ消費するので、体重に対する食事量の比率が大きな動物と比べて大きくなります。
子供たちがたくさんの食事をするのは、成長のためということもありますが、大人よりもエネルギーの消費量が、対体重比で大きいからとも言えるわけです。
人間の体は取り入れた酸素や食事を燃やすことでエネルギーを得ています。木が燃えるとき火は酸素と結合して酸化され、エネルギーを消費して木としての命を絶ちますが、私たちが食事をするときも呼吸によって酸素を取り組み、この酸素で食べ物を酸化させエネルギーに変えているのです。食事というのは運動と同じで、消化にかなりのエネルギーを消費するので、酸素をそれだけ取り込まなければならず、食べるほどに活性酸素を体内で多く発生させているのです。
いつもお腹が空いていて3度の食事をおいしくきっちりと食べていることは、必ずしも小食の人と比べて健康的とは言えないのです。
サイズとエネルギー効率
個々の生き物には標準の代謝量というのがあります。これは一定の単位時間でどれだけの酸素を消費するかを表したものです。暑くもなく寒くもない中で、食事や動き回ることをせずに安静にしている状態でどのくらいのエネルギーを消費するかというものです。
これを4トンの象から牛、馬、人、猿、猫、40グラムのネズミといった様々の恒温動物を計測すると、「標準代謝量は体重の3/4に比例する」という一定の法則ができます。
これはつまり、体重が人の2倍あるとしてもエネルギーの消費は1.68倍にしかならないということです。これを突き詰めると体重4トンの象は40グラムのハツカネズミの10万倍の体重を持ちますが、エネルギー消費量はハツカネズミの5600倍(1/18)でしかないのです。
つまり体の大きな動物ほどエネルギー効率が良いということになるのです。
一般に生き物はエネルギーを消費するほどに酸素を取り入れることになりますが、酸素消費量が多いほどに寿命は短くなります。サイズと酸素消費量を人とネズミで比べるとネズミは人の十倍です。ネズミの種によって異なりますが、ネズミは人間の寿命の1/10以下しか生きられません。
サイズの大きさによって異なる時間
本川教授の考え方でユニークなのは「サイズによって時間が変わる」という理解です。これは大きな生き物ほど何をするにしても時間が掛かるということから考え出されています。物理的な時間はもちろん同じなのですが、多分、真実の時間としては小さな生き物は短い時間の中でたくさんのことを為すことができるので多くの時間を生きているというわけです。
私も年を重ねるに従い本当に時間が経つのが早いと感じます。若いころの半分ぐらいにすら感じます。これはこういう風に考えることができます。
子供は大人より、体重当たりのエネルギーをたくさん使います。子供は同じ時間内に大人と比べたくさんのことをするのですから、同じ一日でもたくさんの時間の中を生きていて時間を「遅く」感じます。遅い≠ニいうことは一定の時間内での密度の濃い、たくさんの経験を実感しているといということです。
一方で大人はエネルギーの消費が少ない分ゆったりとしているので時間の経過が「速く」感じるということです。速い≠ニいうことは行動に対して時間ばかりが経つという意味です。何もしなくたって時間だけがどんどん過ぎて行くということです。
同じ1日でも1年でも、子供にとっては大人よりも長く感じられるということは、こういうことで。私も実感としてよく分かります。
歳を取ると時間が速く経つと感じるのは、大人の365日は子供にとっては700日の時間を生きていると同じと考えられると思います。
これはちょうど音楽やビデオのテープを早送りして観たり聴いたりしていると考えると解かりやすいです。1時間のビデオを1時間かけて観ても、30分で早見しても、2時間かけてスローで観ても、実際のテープの内容は変わるわけではありません。
同じ時間の尺度で考えれば、子供は2時間テープを1時間で回して2時間分のバーチャル生活を経験できても、大人は同じ1時間内では1時間分のバーチャル生活しか経験できないということです。そして実際に、子供の老化(つまり成長)は大人のそれと比べ若いほどに早いではありませんか(成長と老化はある意味同じこと)。
ちなみに生まれたばかりの赤ちゃんの心拍数は1分間に120回程度で呼吸数は40回から50回程度です。幼児、学童となるに従い心拍数・呼吸数とも減り、大人になると心拍数は60回程度、呼吸数は17回程度となります。
私たちからハエを見て早い動きだなぁと思っても、ハエから人間を見たらほとんど動いていないと見えていることでしよう。
つまり動物によって時間が変わるということなのですが、同じ種の動物でも成長によって時間は変わるのです。
この考え方は、時空間の「空間」についても同じことが言えるでしょう。たとえば空間は、大人にとっては小さ部屋も、子供にとっては大きな部屋となります。大人の尺度で小さいといっているものも、子供の現実の世界では大きいことの方が真実。それぞれの真実はそれぞれの空間にあります。決められている数字としての空間に生き物固体の真実があるのではなく、固体が感じる空間こそが真実の空間なのです。そしてそれが真実。
空間のほうはそこにあるものなので、これをそのとき実感しやすいが、時間はそこになく流れているものなので瞬時には感じにくいものなのです。
ハツカネズミの寿命は2〜3年でインド象は70年近く生きますが、両者ともに一生の鼓動数は15万回ですから、前述した理解から時間を鼓動数に変換し当てはめますと、象もネズミもまったく同じ長さの時間を生きているということになります。
寿命は生き物のサイズによって大きく変わりますが、一生に使用するエネルギーは体重1キログラムあたりにすると一定ということです。
長く太い人生ということは現実には難しいようです。
しかし少なくとも骨を丈夫にしようと牛乳をたくさん飲むことが逆に骨粗しょう症を進行させるのと同じように、健康になろうと毎日ハードトレーニングに励んで脈拍を上げ、鼓動を浪費することは、本末転倒なわけです。
**************************** 以下は未発表記事ですが、追加します。
時空間
時間・空間は不思議なものです。私は以前自分が犯す罪のカルマとしか思えない現象を、罪を犯す前にいただいたことが何度かあります。そのときは時間とは不思議なものだと思ったものです。私たちが考えている「時間が経つ」ということとは実際にはまったく異なった現実があるのではないかと考えてしまいます。そもそも過去とか未来というものは3次元の現象世界で霊魂が進化を遂げるために作られているものであって、実在世界には存在していないのではないかと思えるのです。
ただここで現象界について説明が必要です。
私たちが生きている現実社会は、いわば意識の顕現として顕在化された幻想の世界とも言えなくはありません。
霊的には現象界と言います。それとは逆に意識そのものの絶対世界を実在界といいます。
霊的世界を実在界と勘違いしている人もいますが、霊の世界は地上よりも更に意識の反映が顕在化されますから、地上よりももっと現象界ということができます。
時間・空間というものも実は現象界特有の存在であり、意識によって変化しているものなのです。
地上は三次元の現象界であり、霊界は四次元の現象界といえましょう。
時間と空間と天位
下記は 「宇宙の理」誌より、故 縁心先生を通じての「御神事」の引用です。
宇宙学に於ける時間とは、一なるところより出発したる波動とその星本来の天位と、その星の住民との総和の波動とが、縦横に交叉する点を横切るそのものの主観をいう。
宇宙学に於ける空間とは、一なる処より出発したる波動と、その対象物から発する波動とが、自己観念の中で完全に調和せるまでの時間をいう。
即ち宇宙学に於いては、時間はその作業内容を表現する質と、そのものの累積なりし量に関し、空間はそのものの能率的時間に拘わるものなり。(略)
宇宙間に於ける時間・空間の顕現は、その人類と共に進展なすその星自体が発する波動と、その星に住む全人類意識の過去・現在に亘る波動との総和が、その星の天体上の位置を決める要因となり、その要因に拠りて、その顕在の仕方が異なるものなり。
つまり星の意識の進化位置に従って発する波動と人類の過去・現在の波動とが混ざり合うことで、星全体の波動が決まる。その波動と創造神の波動との差で、その星の天体上の位置(天位・格付け)が決まる。そしてその時間・空間は星それぞれの天位によって顕れ方が様々であるといいます。
星の一つひとつの時間と空間が異なるということです。
この法則がそのまま地球上の個々の生き物にも当てはまるかどうかは証明できませんが、やはり考えるほどに生き物によっても、また同じ種の生き物の老若、大小によっても時間は異なって現われているのではないかと思われます。
また種や年齢、サイズが同じであっても、エネルギーの使い方の違いで時間が速かったり遅かったりするのではないでしょうか。